朝、重いまぶたが開いたと思うと、昨日とは違う天井を見てビックリする。
アレ?今どこ?
と、なることが旅をしていると多々ある。
眠い目をこすり、部屋の外に出ると天井の違いどころではなかった。。
![3203]()
!?!?!?
・・・・・・・・・・・・・・
24時間前・・・・・
居心地のいいハマを後にし、ダマスカスに向かう予定だった。
ルームメイトのマーティンもダマスカスに向かうらしい。
それじゃあ、一緒にいくか。 と、行動を共にすることになったんやけど、
「ダマスカスへ行く途中、マルムーサっていうカトリックの修道院があって、
巡礼宿として多くの人が訪れているらしく、手伝いをすれば泊まることができるらしいんだけど行ってみる?」
と、聞かれたので
「じゃあ行ってみようかな?」
ということになる。。
今、考えるとカトリック教徒でもない自分が
興味本位で行くのはちょっと軽率だったかな・・・と思う。。。
でも宗教に興味はある。 信仰するしないは別だが。。
マルムーサへはハマから約50kmほど南に下ったところにある
ホムスという所までバスに乗り、そこからダマスカス行きのバスに乗り換え、
さらに南に50kmほど、ちょうどホムスとダマスカスの中間地点にあるナブクで途中下車。
ハマ→ホムス 50SYR (100円)
それやったら最初からハマから直接ダマスカス行きのバスに乗って、
途中下車したらいいんやないん? と疑問に思ったのだが、
ハマのバスターミナルでは先に言った行き方ではないとダメと言われた。。
ホムスについてからは、数回バス乗り場をたらい回しにされた後
ダマスカス行きのバスに乗り込む。
乗るときに、マルムーサに行く旨をドライバーに伝えておけば、
ドライバーがマルムーサ行きはここで降りろ。と教えてくれる。
バスを降りるとそこは、ハイウェイ沿いでどこまでも続く一本道以外なにもない。
修道院までは約20km近く離れていて、
ヒッチハイクかタクシーで行くしかない。
修道院に向かう車はほとんどなく、タクシーで行くしかなかった。
ドライバーと交渉するが、完全に足元を見られているので、
なかなか高めの300SYR (それでも600円) と言ってきた。
交渉の末、225SYR (450円) まで下がったので手をうつ。
ナブクの町を通り抜けた後は砂漠の中をひた進む。
砂漠といっても一般的にイメージするようなサラサラした砂の多い砂漠ではなく、
もっとゴツゴツとしたイメージ。 土漠といったとこだろうか。
まわりには何っっっもなく、一本道が蛇のようにつづく。
なんかえらい所にある修道院やな。。。
元々、何も情報を持っていたわけではないので、
多少田舎の方にある修道院かな? というくらいにしか考えてなかったが、
多少田舎。どころではない。。
タクシーの運転手が、ここまでだ。 というので車から降りると、
目の前には丘 (というか崖) があり、見上げると崖の上の方にぽつんと修道院があった。
おぉ・・・・なんか修道院というか、要塞みたい。。
バックパックを背負って上まであがるともう汗だく。
息もきれぎれ。。それもそのはず、ここは海抜1300mもある。(後から知った)
Deir Mar Musa el-Habashi (記事内ではマルムーサと表記)
おそらく古代ローマ人が監視塔のようなものを造ったのが最初で、
その後に、キリスト教徒が小さな洞窟を瞑想の場所として使いだし、
その流れで修道院を建てたのが始まりではないか? とされている。
現在の修道院は西暦1058年に建てられ、15世紀に部分的に再建設され大きくなった。
しかし、19世紀前半、修道院は朽ちかけたが、信仰心のあついネブクの信者によってなんとか保たれた。。
1984年に修復が始まり、国・地方教会・ボランティア・の協力により1994年に終了した。
とくに、イタリアが協力の要になっていた。
.
確か自分がここを訪れたときの神父さんもイタリア人だったはず。。
着くとさっそく空いている部屋に案内してくれた。
部屋にはベッドが二つあり、マットレスが轢いてある。
寝袋を持っているので、寝具はそれで十分。電気もあったので意外。
夕食の時間が近かったので、その準備を手伝う。
東南アジアなんかにありそうな、
高床式みたいなテントの中で25人がみんなで食事をする。
その多くはここで生活をしている人たちで訪問者は自分達を含め8人ほどいた。
夕食は、ピタとサラダ・チーズ数種類・オリーブ・オリーブオイル・タヒーナ(白ゴマペースト)。
と、シンプルな食事だが、この組み合わせがめちゃくちゃうまい!!
オリーブオイルがすんごいおいしい。。
食事の途中、食べ物をとろうとして、その食べ物の前に座っていた青年に、
「ソレ、君の分?」
と、確認してからもらうと思って聞くと、
「ボクの。というかみんなのだよ。」 と即答された。
オランダ人のマリウスはここに半年近く住んでいる。
こういう厳しい環境での共同生活は大変だ。特に長く住むとなると。
限りある食べ物・材料を使って生活をしていかなければならないこの環境。
ここにある食べ物は、ここにいる全員の物で、ダレか個人が所有するというモノは何一つない。
何気ない言葉ほど、その人の意識・考えていることが表れる
ということを再認識させられた。
まだまだお客さん気分だった自分に少し反省。
夜になると頭の上は星でいっぱいになる。
旅中に使っているどこでも使えるワールド携帯も、もちろん圏外。
タバコのじり・・じりという音がうるさいくらいに静かな夜だった。
朝は、鳥と太陽に起こされた。遠くではニワトリが鳴いていた。
小学校のころ家でニワトリを飼っていたので、なんか懐かしい気分になる。
朝食の準備のためキッチンに行き、準備をする。
食事は毎回そろって食べる。
食事の後の後片付け。
ここでは水は大変貴重なため、節水は必須。
普通に食器をすすぐと大量の水が必要になる。
なので、大きなタライに水を入れたものを二つ用意して、
ひとつ目で大まかなすすぎ→ふたつ目で仕上げのすすぎ。
という流れで食器を洗っていく。
![3205]()
朝食の後は、各々自由時間。
本を読んだり、日記を書いたり、散歩をしたり、
勉強したりとひとそれぞれ。。
![3201]()
こんだけカラッとしとると洗濯物も一瞬で乾きそう。。
ここに住んでいるうちの一人でアブドゥラというモロッコ人がいて、
この人がえらく親切で、色々気づかってくれた。。
たしか、日本語の聖書もあったはず・・・
と、日本語の聖書を探し出してきてくれたので久々に読んでみる。
手伝いは、もっとこうファームステイ的なものを想像していたが、
時期もあるのか、滞在中はほとんど食事の準備・後片付けが主だった。
お昼は、一日のメインの食事で、
パスタや豆ご飯のようなもの。ズッキーニの煮込み。(激ウマ)
フルーツ・先に書いたオリーブのセット。
を、ビュッフェスタイルで食べる。
![3225]()
ここは多くのボランティアで成り立っていて、
そのボランティアの人の滞在期間もさまざま。
一ヶ月から半年の人や、1年・数年滞在している人も。
昼食の後、少し昼寝をして、あたりを散歩。
と言っても、場所が場所なので、散歩もかなりのエクササイズになる。
![3224]()
登山に匹敵する散歩です。 まわりには何もない。
![3217]()
何回か散歩中、本気で迷いそうになったときがあった。
こんなところで遭難したらかなりヤバイ。。
あんまり遠くまでは行かない方がよさそう。。
![3204]()
宿舎は、男と女で分かれていて、
写真に写っているのが、女の宿舎。。
ジグザグの階段は、ここに来るときに登ってきた階段。。
![3216]()
トイプードルのような髪の毛のマーティン。たそがれてます。
19:00からは瞑想の時間が少しあり、その後はミサ。
アブドゥラにも強く勧められたので、瞑想のあとミサに参加(というよりは見学)させてもらう。
夕食にはファラフェルがでてきた。
町にいた時はしょっちゅう食べてて飽きていたが、
時間があくとやはりうまい。
オリーブ・ピタセットは毎食といっていいほど食べたがまったく飽きがこなかった。
食べざかりの食欲を抑えるのが大変だった。。
本当に何もないところだが、時間が過ぎるのは意外と早い。
そろそろここを出て、ダマスカスに向かおうかと考えていた時、
なんともタイミングよくダマスカスへ向かう2人のイギリス人教師がやってきた。
彼らは、短期旅行中なので、スケジュールもばっちり決めてある。
車をチャーターしていて、ここに着いたときに、
2日後にまたここに迎えに来てくれ。とドライバーと約束しているらしい。
親切なことに、車にはまだ空きがあるからよかったら一緒にこないか?と勧めてくれた。
実は、ここ(マルムーサ) から町に行くまでは、タクシーを呼ばなければならなかったので、
その手間が省けて助かる。 とのことで、お言葉に甘えてご一緒させてもらうことにした。
ただ、ダマスカスに向かう途中のマアルーラという所までのチャーターだけどいいか?
と、言われて、オレとマーティンは顔を見合わせにっこり。
実は、もともとマーティンはマルムーサではなく、マアルーラに行きたかったのだ。
それをなんかの聞き間違えでマルムーサにたどり着いてしまった。
まぁ、二人ともマルムーサを気に入ってたし、よかったんだが、
ここで、マーティン本来の目的地に行けることになったので、なんともラッキーな気分。
チャーター代をシェアしようと言ったのだが、何度言っても、
「君たちは旅人だからお金は節約しなよ。 それに君たちがいなくても
どっちにしろ、チャーターはしていたわけだし。」
と言って受け取ってくれなかったので、お言葉に甘える。
マルムーサの人たちに別れをつげ、少ない寄付金を残し修道院をあとにする。
上りもきつかったが、下りの階段もきつい。膝にきます。膝に。。。
Maaloula マアルーラ
マルムーサから一時間ほどだろうか、
砂漠の中に谷に囲まれた町が見えてきた。
ここは、キリストが話していたという言語、アラム語を話す数少ない場所。
![3234]()
この町にある二つの重要な僧院の一つ。聖テクラ修道院。
![3230]()
![3228]()
ここの奥では、建物の中を見学でき、
信者の人にとっては大変ありがたいものがたくさんあった。(はず)
聖水?らしきものもあり、みんな備え着きのカップから飲んだり、ボトルに詰めたりしていた。
飲んでみたけど、山で飲む湧水の方が5倍はおいしい気がした。。
![3245]()
ここでは谷底のような所を探索できる。
なんかぺトラの遺跡の雰囲気に似てる気がする。(この時点では写真・テレビでしかみたことなかったけど)
![3232]()
写真のように、山が二つに分かれているが、
それにはストーリーがついていて、聖テクラという人物が、
追ってに追われていて、この山にたどり着き、逃げ場を失った。
逃げ場を失ったテクラは祈る。
すると、山が二つに割れたので、そこから逃げたという。
この町の名前もそこから来ているとか・・・
アラム語で、マアラというのが、入口という意味になるらしい。
そして、その本人・聖テクラにちなんで、修道院の名前にしたらしい。
![3251]()
崖にそって階段状に建っている家々。。
教会のマークを多く見かける。
数時間の滞在だが、さっそくダマスカスへ向け出発。
ダマスカスまでは大体50kmほど。
セルビス(乗り合いタクシー) で、25SYR (50円)。
マーティンはもう少しゆっくりマアルーラを探索したいから。
と言って、マアルーラに残った。
まぁ、またどうせダマスカスで会うやろう。
イギリス人教師二人と、オレはセルビスに乗り込み、
他の乗客を待ち、満員になったところで出発。 運よく乗客がすぐあつまったので、
十分と待たずにすんだ。
道中はいろいろ旅の話をしたりしていて、ダマスカスまであっという間だった。
旅をし始めて、もう半年以上がたつ。
一人旅とはいったものの、まだほんとに一人になったことがない気がする。。
旅は道連れ
とはよく言ったもんだ。。
アレ?今どこ?
と、なることが旅をしていると多々ある。
眠い目をこすり、部屋の外に出ると天井の違いどころではなかった。。

!?!?!?
・・・・・・・・・・・・・・
24時間前・・・・・
居心地のいいハマを後にし、ダマスカスに向かう予定だった。
ルームメイトのマーティンもダマスカスに向かうらしい。
それじゃあ、一緒にいくか。 と、行動を共にすることになったんやけど、
「ダマスカスへ行く途中、マルムーサっていうカトリックの修道院があって、
巡礼宿として多くの人が訪れているらしく、手伝いをすれば泊まることができるらしいんだけど行ってみる?」
と、聞かれたので
「じゃあ行ってみようかな?」
ということになる。。
今、考えるとカトリック教徒でもない自分が
興味本位で行くのはちょっと軽率だったかな・・・と思う。。。
でも宗教に興味はある。 信仰するしないは別だが。。
マルムーサへはハマから約50kmほど南に下ったところにある
ホムスという所までバスに乗り、そこからダマスカス行きのバスに乗り換え、
さらに南に50kmほど、ちょうどホムスとダマスカスの中間地点にあるナブクで途中下車。
ハマ→ホムス 50SYR (100円)
それやったら最初からハマから直接ダマスカス行きのバスに乗って、
途中下車したらいいんやないん? と疑問に思ったのだが、
ハマのバスターミナルでは先に言った行き方ではないとダメと言われた。。
ホムスについてからは、数回バス乗り場をたらい回しにされた後
ダマスカス行きのバスに乗り込む。
乗るときに、マルムーサに行く旨をドライバーに伝えておけば、
ドライバーがマルムーサ行きはここで降りろ。と教えてくれる。
バスを降りるとそこは、ハイウェイ沿いでどこまでも続く一本道以外なにもない。
修道院までは約20km近く離れていて、
ヒッチハイクかタクシーで行くしかない。
修道院に向かう車はほとんどなく、タクシーで行くしかなかった。
ドライバーと交渉するが、完全に足元を見られているので、
なかなか高めの300SYR (それでも600円) と言ってきた。
交渉の末、225SYR (450円) まで下がったので手をうつ。
ナブクの町を通り抜けた後は砂漠の中をひた進む。
砂漠といっても一般的にイメージするようなサラサラした砂の多い砂漠ではなく、
もっとゴツゴツとしたイメージ。 土漠といったとこだろうか。
まわりには何っっっもなく、一本道が蛇のようにつづく。
なんかえらい所にある修道院やな。。。
元々、何も情報を持っていたわけではないので、
多少田舎の方にある修道院かな? というくらいにしか考えてなかったが、
多少田舎。どころではない。。
タクシーの運転手が、ここまでだ。 というので車から降りると、
目の前には丘 (というか崖) があり、見上げると崖の上の方にぽつんと修道院があった。
おぉ・・・・なんか修道院というか、要塞みたい。。
バックパックを背負って上まであがるともう汗だく。
息もきれぎれ。。それもそのはず、ここは海抜1300mもある。(後から知った)
Deir Mar Musa el-Habashi (記事内ではマルムーサと表記)
おそらく古代ローマ人が監視塔のようなものを造ったのが最初で、
その後に、キリスト教徒が小さな洞窟を瞑想の場所として使いだし、
その流れで修道院を建てたのが始まりではないか? とされている。
現在の修道院は西暦1058年に建てられ、15世紀に部分的に再建設され大きくなった。
しかし、19世紀前半、修道院は朽ちかけたが、信仰心のあついネブクの信者によってなんとか保たれた。。
1984年に修復が始まり、国・地方教会・ボランティア・の協力により1994年に終了した。
とくに、イタリアが協力の要になっていた。
.
確か自分がここを訪れたときの神父さんもイタリア人だったはず。。
着くとさっそく空いている部屋に案内してくれた。
部屋にはベッドが二つあり、マットレスが轢いてある。
寝袋を持っているので、寝具はそれで十分。電気もあったので意外。
夕食の時間が近かったので、その準備を手伝う。
東南アジアなんかにありそうな、
高床式みたいなテントの中で25人がみんなで食事をする。
その多くはここで生活をしている人たちで訪問者は自分達を含め8人ほどいた。
夕食は、ピタとサラダ・チーズ数種類・オリーブ・オリーブオイル・タヒーナ(白ゴマペースト)。
と、シンプルな食事だが、この組み合わせがめちゃくちゃうまい!!
オリーブオイルがすんごいおいしい。。
食事の途中、食べ物をとろうとして、その食べ物の前に座っていた青年に、
「ソレ、君の分?」
と、確認してからもらうと思って聞くと、
「ボクの。というかみんなのだよ。」 と即答された。
オランダ人のマリウスはここに半年近く住んでいる。
こういう厳しい環境での共同生活は大変だ。特に長く住むとなると。
限りある食べ物・材料を使って生活をしていかなければならないこの環境。
ここにある食べ物は、ここにいる全員の物で、ダレか個人が所有するというモノは何一つない。
何気ない言葉ほど、その人の意識・考えていることが表れる
ということを再認識させられた。
まだまだお客さん気分だった自分に少し反省。
夜になると頭の上は星でいっぱいになる。
旅中に使っているどこでも使えるワールド携帯も、もちろん圏外。
タバコのじり・・じりという音がうるさいくらいに静かな夜だった。
朝は、鳥と太陽に起こされた。遠くではニワトリが鳴いていた。
小学校のころ家でニワトリを飼っていたので、なんか懐かしい気分になる。
朝食の準備のためキッチンに行き、準備をする。
食事は毎回そろって食べる。
食事の後の後片付け。
ここでは水は大変貴重なため、節水は必須。
普通に食器をすすぐと大量の水が必要になる。
なので、大きなタライに水を入れたものを二つ用意して、
ひとつ目で大まかなすすぎ→ふたつ目で仕上げのすすぎ。
という流れで食器を洗っていく。

朝食の後は、各々自由時間。
本を読んだり、日記を書いたり、散歩をしたり、
勉強したりとひとそれぞれ。。

こんだけカラッとしとると洗濯物も一瞬で乾きそう。。
ここに住んでいるうちの一人でアブドゥラというモロッコ人がいて、
この人がえらく親切で、色々気づかってくれた。。
たしか、日本語の聖書もあったはず・・・
と、日本語の聖書を探し出してきてくれたので久々に読んでみる。
手伝いは、もっとこうファームステイ的なものを想像していたが、
時期もあるのか、滞在中はほとんど食事の準備・後片付けが主だった。
お昼は、一日のメインの食事で、
パスタや豆ご飯のようなもの。ズッキーニの煮込み。(激ウマ)
フルーツ・先に書いたオリーブのセット。
を、ビュッフェスタイルで食べる。

ここは多くのボランティアで成り立っていて、
そのボランティアの人の滞在期間もさまざま。
一ヶ月から半年の人や、1年・数年滞在している人も。
昼食の後、少し昼寝をして、あたりを散歩。
と言っても、場所が場所なので、散歩もかなりのエクササイズになる。

登山に匹敵する散歩です。 まわりには何もない。

何回か散歩中、本気で迷いそうになったときがあった。
こんなところで遭難したらかなりヤバイ。。
あんまり遠くまでは行かない方がよさそう。。

宿舎は、男と女で分かれていて、
写真に写っているのが、女の宿舎。。
ジグザグの階段は、ここに来るときに登ってきた階段。。

トイプードルのような髪の毛のマーティン。たそがれてます。
19:00からは瞑想の時間が少しあり、その後はミサ。
アブドゥラにも強く勧められたので、瞑想のあとミサに参加(というよりは見学)させてもらう。
夕食にはファラフェルがでてきた。
町にいた時はしょっちゅう食べてて飽きていたが、
時間があくとやはりうまい。
オリーブ・ピタセットは毎食といっていいほど食べたがまったく飽きがこなかった。
食べざかりの食欲を抑えるのが大変だった。。
本当に何もないところだが、時間が過ぎるのは意外と早い。
そろそろここを出て、ダマスカスに向かおうかと考えていた時、
なんともタイミングよくダマスカスへ向かう2人のイギリス人教師がやってきた。
彼らは、短期旅行中なので、スケジュールもばっちり決めてある。
車をチャーターしていて、ここに着いたときに、
2日後にまたここに迎えに来てくれ。とドライバーと約束しているらしい。
親切なことに、車にはまだ空きがあるからよかったら一緒にこないか?と勧めてくれた。
実は、ここ(マルムーサ) から町に行くまでは、タクシーを呼ばなければならなかったので、
その手間が省けて助かる。 とのことで、お言葉に甘えてご一緒させてもらうことにした。
ただ、ダマスカスに向かう途中のマアルーラという所までのチャーターだけどいいか?
と、言われて、オレとマーティンは顔を見合わせにっこり。
実は、もともとマーティンはマルムーサではなく、マアルーラに行きたかったのだ。
それをなんかの聞き間違えでマルムーサにたどり着いてしまった。
まぁ、二人ともマルムーサを気に入ってたし、よかったんだが、
ここで、マーティン本来の目的地に行けることになったので、なんともラッキーな気分。
チャーター代をシェアしようと言ったのだが、何度言っても、
「君たちは旅人だからお金は節約しなよ。 それに君たちがいなくても
どっちにしろ、チャーターはしていたわけだし。」
と言って受け取ってくれなかったので、お言葉に甘える。
マルムーサの人たちに別れをつげ、少ない寄付金を残し修道院をあとにする。
上りもきつかったが、下りの階段もきつい。膝にきます。膝に。。。
Maaloula マアルーラ
マルムーサから一時間ほどだろうか、
砂漠の中に谷に囲まれた町が見えてきた。
ここは、キリストが話していたという言語、アラム語を話す数少ない場所。

この町にある二つの重要な僧院の一つ。聖テクラ修道院。


ここの奥では、建物の中を見学でき、
信者の人にとっては大変ありがたいものがたくさんあった。(はず)
聖水?らしきものもあり、みんな備え着きのカップから飲んだり、ボトルに詰めたりしていた。
飲んでみたけど、山で飲む湧水の方が5倍はおいしい気がした。。

ここでは谷底のような所を探索できる。
なんかぺトラの遺跡の雰囲気に似てる気がする。(この時点では写真・テレビでしかみたことなかったけど)

写真のように、山が二つに分かれているが、
それにはストーリーがついていて、聖テクラという人物が、
追ってに追われていて、この山にたどり着き、逃げ場を失った。
逃げ場を失ったテクラは祈る。
すると、山が二つに割れたので、そこから逃げたという。
この町の名前もそこから来ているとか・・・
アラム語で、マアラというのが、入口という意味になるらしい。
そして、その本人・聖テクラにちなんで、修道院の名前にしたらしい。

崖にそって階段状に建っている家々。。
教会のマークを多く見かける。
数時間の滞在だが、さっそくダマスカスへ向け出発。
ダマスカスまでは大体50kmほど。
セルビス(乗り合いタクシー) で、25SYR (50円)。
マーティンはもう少しゆっくりマアルーラを探索したいから。
と言って、マアルーラに残った。
まぁ、またどうせダマスカスで会うやろう。
イギリス人教師二人と、オレはセルビスに乗り込み、
他の乗客を待ち、満員になったところで出発。 運よく乗客がすぐあつまったので、
十分と待たずにすんだ。
道中はいろいろ旅の話をしたりしていて、ダマスカスまであっという間だった。
旅をし始めて、もう半年以上がたつ。
一人旅とはいったものの、まだほんとに一人になったことがない気がする。。
旅は道連れ
とはよく言ったもんだ。。